カオスな環境にこそ燃える男。エチオピアで電動二輪を展開するDodai社CEO・佐々木 裕馬氏の生き方を探る

 馬車から自動車、蒸気機関車から新幹線、飛行機や有人ロケットなど、技術の進歩はそのまま “移動の進化” に通ずると言っても過言ではないだろう。従来は「いかに早くヒト/モノを届けるか」が重要だったわけだが、昨今では多様化するニーズに合わせて様々なモビリティが企画/開発されており、グローバル各所で規制緩和の動きが活発化している状況だ。

 そんな中、アフリカで2番目の人口規模を誇るエチオピア連邦民主共和国で、電動二輪バイクの普及に人生を賭けているのが「Dodai Group, Inc」(読み方:どだい)の代表取締役CEO・佐々木 裕馬(ささき ゆうま)氏である。

エチオピア現地開催のピッチ大会にてプレゼンをする佐々木氏(撮影:K-PHOTO、提供:ICJ)

 Dodaiは食料品配送をはじめとするギグワーカーに電動二輪事業を展開するスタートアップ企業で、2023年8月1日に電動二輪バイクをローンチ。まずは2023年に500台、2024年に5,000台の販売を目指しながら、2030年までに独自のサブスクリプションサービスを通じて100万人のユーザー獲得と、経済成長と脱炭素の両立を牽引することを目指して事業展開しているという。

Dodaiの工場施設内にて組まれた電動二輪バイク(撮影:K-PHOTO、提供:ICJ)

 2023年6月にはインクルージョン・ジャパン株式会社(ICJ2号ファンド)より約2億円の資金調達を発表しており、現在も遠いアフリカの地でのモビリティインフラ確立に向けて、絶賛資金調達を進めている最中だ。

オフィスでDodaiマネージャー陣との週次ミーティングを実施している様子(撮影:K-PHOTO、提供:ICJ)

 The WAVEではそんなDodai社および佐々木氏のこれまでとこれからについて、エチオピア現地での取材内容を踏まえて、前後編に分けてお伝えする。前編となる本記事では、佐々木氏の人物像について、これまでの経歴を振り返りながらご紹介する。

目次

なぜ、熊とラーメンなのか?

ITジャーナリスト・湯川鶴章氏(写真左)と、熊×ラーメンのパーカーを着用している佐々木氏(写真右)

「熊とラーメンが好きなんですよ」

 The WAVE取材クルーがエチオピアの地に降り立った初日のディナーにて、佐々木氏の着用パーカーが妙に気になって質問してみたところ、こんな答えが返ってきた。聞くと本当にラーメンがお好きらしく、毎日ラーメンを食しても全く飽きないとのことで、お土産で貰うインスタントラーメンの50食セットもほんの数日で無くなってしまうという。なるほど、ラーメンについては分かったが、果たしてなぜ熊なのか?

「僕、ライオンみたいに常に威嚇しているのは好きじゃないし、かといって弱いのも好きじゃありません。その点、熊って、いつでも相手のことを倒せるのに“のほほん”としているじゃないですか。だから熊が好きなんです。大好きな熊とラーメンということで、このパーカーは母が買ってくれました(笑)」

(提供:佐々木裕馬氏)

 面白い。これが佐々木氏の本質なのかもしれない。というのも、事前にいただいていた以下の経歴を伺うとなんともバサラな人物をイメージしていたのだが、実際にお会いしてみると、エネルギッシュな印象こそあるものの、決して「俺が俺が」と前に出るような感じではないのだ。

新卒でENEOSに入社し、東南アジアで石油開発事業に従事した後、退職してフランスの大学院にてMBAを取得。その直後に、今度はガーナのスタートアップにて無給インターンシップとして3ヵ月働いた後に、経営陣に抜擢されて同国およびコートジボワールでの事業拡大に貢献。3年後には帰国し、UberJapanにて2年間営業本部長、Luupにて1年間副社長兼CBOを務めた後に再度アフリカへと戻り、ジブチでの事業活動を経て、現在のエチオピアでのDodai創業に至る

 聞くと、佐々木氏は子どもの頃から「嫌なこと、特に何かに従わないといけないことは全然やらないけど、好きなこと/目標とすることにはものすごく集中していた」という。その片鱗を感じるエピソードが大学入試だ。それまで、“やらされる勉強”というものが極度に嫌いだった同氏は高校の成績がお世辞にも良いとは言えないレベルだったようなのだが、東京大学に入学するという目標を決めた高校2年生後半からの約1年間は、とにかく寝ても起きても、歩いている時もお風呂の浴槽の中でも、まるで勉強に取り憑かれたような生活をしていたという。

 そんな勉強への没入の甲斐あって、晴れて東大合格を決めた佐々木氏は、入学した2日後に休学届を出すことになる。

「音楽で世界を獲ろうと思っていたんです。レディー・ガガもジャスティン・ビーバーも、みんなアメリカから世界に行っているじゃないですか。だから、世界を獲るならアメリカが近道だと思って、まずは日本で1年半、1日も欠かさずバイトだけして350万円ほどのお金を貯め、それからアメリカに渡りました。アメリカでの音楽活動生活は1年半だったので、合計3年間休学していたことになります」

「ぐちゃぐちゃな中で何かを作っていくの好き」だと気づいた、アメリカでの音楽活動生活

 エチオピアのDodai社が急成長している背景の一つに、佐々木氏の半端ないレベルでのチームメイキング力がある。国内外の優秀なメンバーが、佐々木氏の地道なアプローチと強烈なビジョンメイキングに触れ、エチオピアの電動二輪バイク普及に向けて続々と集結してきているのだ。詳細は後編で触れるが、冒頭に掲載した画像にいるDodaiマネージャー陣は、非常に優秀かつ華やかな経歴を持つ人物ばかりだ。

 そんなチームメイキング力は、この頃の音楽活動時代から着々と積み上げられていったものだと言う。同氏は、英語もろくに話せないような状態で渡米し、初日にトラベラーズチェックで100万円近くかけて楽器(アンプ&ギター等)を購入。そのままライブを転々としながら仲間探しを進めていったのだ。当初はオレゴン州ポートランドで活動していたのだが、半年後には本格的に世界を獲るためにカリフォルニア州ロサンゼルスに移動することになる。そして、そこで“本物の天才”たちを目の当たりにして、1年で気持ちよく諦めて帰国を決めたというのだ。

「ロスは本当にすごいです。本物の天才ばかりで、僕なんて足元にも及ばないってよく分かりました。あまりの実力の差に、逆にスッキリして、1年間半の音楽活動を終えて帰国し、そのまま復学して大学生活を再開しました。その頃から今度は、アフリカで仕事をしたいと思うようになりました。詳細は控えますが、アメリカでの生活って結構めちゃくちゃだったんですよ。そんな、めちゃくちゃ/ぐちゃぐちゃな中で何かを作っていくことが自分は好きだってことに気づいて、アフリカならもっとやばいカオス感なんじゃないかと思ったんです。そんなわけで大学では、アフリカでよく使われているフランス語を学ぶためだけに仏文を専攻し、就職先もアフリカへの赴任の可能性があるENEOSに決めました」

 アフリカで仕事をするために入社したENEOSであったが、最初に担当した東南アジアでの石油開発事業を経ても、アフリカへの道が開かれる兆しがなかなか見えなかったという。当時の社長に直談判しにいったものの状況が打開されることはなく、また国際的な石油価格の下落が影響してアフリカへの投資も縮小する流れとなったことから、「このままだと向こう5年はアフリカに行けない」と確信し、2年半で退職を決めたという。

 その後、アフリカにある外資系スタートアップに照準を定めた佐々木氏は、まずは自身の「ビジネス力」を鍛える必要があると感じたことから、今度はMBA取得のために銀行から借入をして、フランスに渡ってビジネススクールに入学することになる。MBAを取得するだけなら日本でも良いのだろうが、複数の理由から佐々木氏は渡仏での取得を選択したという。

「あまり知られていないことなのですが、一般的にMBA取得期間は2年なのに対して、フランスは1年で取得できます。早く現場に出たいということもあって、座学での学びは最小限にしたいと考えていました。また、アフリカにはフランスが旧宗主国の国も多いので、フランス語でも普通の会話ができるようになりたかったですし、アフリカ関連の人脈も広げたいと思いました。これはフランスにいくのが一番だと考えて、向こうでMBAを取得することに決めました」

ガーナのスタートアップで発揮された「温かみのあるパワーマネジメント」スタイル

PEG Africaのメンバーと佐々木氏(提供:佐々木裕馬氏)

 MBA留学といっても、佐々木氏は学校での授業はほどほどにして、ひたすらアフリカ現地の魅力的なスタートアップ探しをしていたという。

「目的はただ一つ、アフリカにある外資系スタートアップに入ることだったので、とにかくそのためにパリでネットワーキングしまくったり、授業中にPCで現地の情報を調べまくったりしていました。そこで見つけたのが、ガーナにある、当時まだ設立2年目だった外資系太陽光発電会社・PEGです」

 PEG(PEG Africa)は、西アフリカの一般家庭や中小企業に太陽光発電の融資や機器の配備等を行うスタートアップだ。CEOのヒュー・ワラン(Hugh Whalan)氏はオーストラリア出身の起業家で、ダボス会議やCOP(国連気候変動枠組条約締約国会議)にも呼ばれるような、業界では有名な人物だ。まさに探していた企業だということで、佐々木氏はMBA取得後にPEGへとジョインするわけだが、その条件は決して良いものではなかったという。

「よく分からない日本人が、初めてのアフリカで仕事をしたいと言っているわけで、いくらMBAを持っているからと言って向こうからしたらリスクでしかないですよね。だから僕の方から、ダメだったらクビでいいので無給インターンとして働かせてほしい、ただし半年やってちゃんと成果が出たら会社の幹部として起用してほしい、とCEOに交渉しました。それでOKとのことだったので、MBA取得後にすぐ、日本に戻ることなくガーナへと向かいました。その時の持ち金なんて5万円くらいしかなかったので、ENEOS時代の同期にある程度のまとまったお金を借りて行ったわけです。もちろん、こぞって有名企業への就職を決めていたMBAの同期達からは『まともじゃない』と言われましたが、せっかくのアフリカで働けるチャンス。全く気になりませんでした」

PEG Africaのメンバーとトーゴへ旅行をしている佐々木氏(提供:佐々木裕馬氏)

 当初は半年の約束だったが、3ヵ月でしっかりと成果を出すことができたので、3ヵ月間の無給インターン後に晴れてナンバー2として経営陣に加えてもらい、現地のセールスメンバーの部下も急に250人以上になったという。ちなみにこの期間、佐々木氏はユースホステルに滞在して見知らぬバックパッカーや現地のガーナ人達と共同部屋で雑魚寝をしていたわけだが、誰よりも早く部屋を出て誰よりも遅く帰宅するような生活を続けていたことから、誰も同氏を目視しておらず、その結果「ゴースト」というあだ名を付けられていたと後から知ったという。

「外資系スタートアップということで、他の先輩従業員達はみんな頭がいいし、戦略を考えさせたらピカイチでした。でも、じゃあ実際にそれを現地で実行するとなったら、話は別です。ここについて、アメリカでの音楽修行やフランスでのMBA取得など、多様なメンバーとなんとか母国語じゃない言葉でコミュニケーションをとりながら、チームで前に進もうとする経験をしてきた僕の方に分があったわけです」

 そんな佐々木氏は、ものすごい勢いでPEGの改革と拡大を進めていったことで、周囲からは「ビジネスに関して相当厳しい人物だ」と思われていた一方で、業務外ではメンバーと一緒に旅行をして悩みを共有するなど、「温かみのあるパワーマネジメント」スタイルで同社を牽引していった。その勢いは英語圏のガーナに留まらず、フランス語圏のコートジボワールへの進出にも貢献する。インターン開始から1年後にはコートジボワールへと移住し、同社のオフグリッド事業をゴリゴリと進めることになる。

 だが、アフリカ滞在の2年目を終えるタイミングで、佐々木氏はそのまま同社を退職し、日本へと戻ることになる。

Uber JapanとLuupにて存分に「剛腕ぶり」を発揮

「実はMBAのためにフランスへ行く前段階で、『3年で妻の元へと戻る』という約束をスイス人の妻としていたんです。当時はまだ結婚前だったのですが、将来どこかに一緒に住むとなっても、僕はキャリアとしてアフリカをやりたいわけです。となると、アフリカにある程度精通していて、半分リモートでマネージできる状態に到達していないと実現できないじゃないですか。だから僕は、この段階でどっぷりとアフリカに浸かる必要があると考えて、『3年間だけほぼ会えなくなるけど待っていてほしい、3年後には君がいるところにどこでも行くから』と約束したんです。その結果、3年後に妻が務めていた場所がたまたま日本だったので、2018年に日本に帰国したという話です」

 そこでご縁があったのがUber Japanだ。Facebookに帰国の旨を投稿したら、多くの仕事のオファーがある中で、Uber Japanで働く知り合いからの連絡があったという。

 話を聞くと、国や業態こそ異なるものの、状況はPEGに似ている状況だった。当時、Uber Japanの経営メンバーは海外の人間ばかりで、日本のタクシー業界についての理解が圧倒的に不足していたのだ。また法制面においても、日本ではライドシェアが原則的に禁止されており(2023年9月末現在)、当時の国内世論も決してウエルカムとは言えないようなタイミングだったのである。

 まさに“ぐちゃぐちゃとした状態”だ。この事業を前へと進めることができるのは自分しかいない、と考えた佐々木氏は、Uber Japanの営業本部長としてジョイン。タクシー事業者との関係構築に向けて、最前線で、まさに“立ち技寝技”を駆使しながらコミュニケーションを重ねていった。

「名古屋、大阪、京都、福岡はいずれも、僕がリーダーとしてオープンしていった地域です。詳細はお伝えできませんが、経営メンバーが『アメリカはこれでうまくいったんだ』という感じで日本の事情なんて全然考えていなかったわけなので、当時はそれこそ会ってもらうのも一苦労というくらい、Uberはタクシー業界から敬遠されていました。ですから、一つひとつの地域にドラマがあります。いずれにしても、僕がかなりスティッキーにタクシー会社の社長一人ひとりと直接会ってお話ししていったことで、徐々にUberへの警戒心が溶けていき、『佐々木が言うなら仕方ない』という感じで仲間が増えていった感じです」

 冒頭に記載した、Dodaiへの出資を行っているインクルージョン・ジャパン(以下、ICJ)2号ファンドのジェネラル・パートナーである吉沢 康弘氏とは、実はこのタイミングで最初に出会っているという。共通の知人経由で知り合った中で、Uber Japanでの佐々木氏の剛腕ぶりを吉沢氏は記憶に留めており、何度か飲みに行くなどしてコミュニケーションを重ねていく中で、あるタイミングで「佐々木さんが何かスタートアップを始めるということがあればノールックで出資します」という言葉が出てきたという。

吉沢 康弘氏(ICJ 2号ファンド ジェネラル・パートナー)

 そして、ここでの経験は次の職場となる株式会社Luupでも活かされることになる。種類は違えど、どちらもモビリティ業界。Uber Japanは期限付きで頑張ろうと考えていた佐々木氏が、電動マイクロモビリティのシェアリングサービス「LUUP」を展開するCEO・岡井 大輝氏と出会い、意気投合。今度は1年限定というリミット付きで2020年に副社長へと就任し、ひたすらポート(LUUPを貸し借りできる地図上のポイント)の開設・増加に向けて邁進することになる。

「実は1年後に、今度はアフリカのジブチで事業を行うことを決めていました。でも、岡井さんの掲げるビジョンは非常に壮大でしたし、Uberよりもさらに戦略的に官民を巻き込んで進めようとしているわけです。ぜひ一緒にやりたいという気持ちがあって、1年限定でLUUP普及に向けてご一緒することになりました」

 ここでも持ち前のスティッキーなコミュニケーションスタイルが発揮され、それこそ町内会長と一緒に飲みに行くなど、毎日が信頼構築に向けてのエキサイティングな日々だったと佐々木氏は回想する。民間での利用シーンの増加も奏功して、2023年7月には改正道路交通法が施行されて利用時の運転免許証が不要になり、現在に至るまでLUUPポート数も増加の一途を辿っている状況だ。

ジブチで味わった人生初の大きな挫折

 佐々木氏が次に目をつけたのはジブチということで、そのご縁となったのは2019年のことだったという。

「ジブチって港が経済を支えているような国なのですが、この港の社長が実はPEG時代の同僚で、CFOを務めていた人間でした。なんで仲が良かったかというと、PEGの中で唯一、白人でも現地(ガーナ及びコートジボワール)の人でもなかったのが僕たち2人だけだったんですよ。そんな彼がPEGをやめた理由が、大統領から港の社長に任命されたからだったのです。そんな中、2019年に横浜で開催されたTICAD(Tokyo International Conference on African Development:アフリカ開発会議)で彼が来日していたので、一緒に江ノ島とかにいって話をしていた時に『次はジブチに来てね』という話がありました。もともと隣国の大国エチオピアに目をつけていたこともあり、Luupをやめた後、そのまま今度はジブチに行くことになりました」

 ここで立ち上げたのがDodaiだ。もともとはエチオピアではなく、全人口100万人程度のジブチでの事業展開からスタートした会社だったのだ。佐々木氏の頭の中では、当初から人口規模が100倍近く違うエチオピアを中長期的なメイン市場と捉えていたわけだが、いかんせん同国では民族同士の内戦が激化していたタイミングだったこともあり、まずは隣国のジブチから市場形成を図っていったという。

 2021年にジブチへと移った佐々木氏は、その港の社長の自宅敷地内(5,000平米)にある部屋を借りる形で生活の基盤を固め、ICJ・吉沢氏からシード資金の調達も完了させて、そのまま非電化貧困層への太陽光発電事業を立ち上げていった。チームメンバーもPEG Africaの時と同様に自ら地道に探しては声をかけていき、着々とジブチDodaiチームが構築されていった。

 だが、ここで佐々木氏はかつてないほどの壁にぶつかることになる。同氏が最も得意とするチーム組成と運営が、ジブチではなかなかうまく機能しなかったというのだ。

「いろんなバックグラウンドのメンバーがいるチーム作りについては、僕としても自信があるところで好きなのですが、それをジブチではうまく活かすことができませんでした。チームマネジメントにおける人生初の挫折です」

 失業率6割と言われるジブチの就業先として最も多いのが、港湾と軍関係だという。つまり、頑張っても頑張らなくてもお金が入ってくるという経済基盤で成り立っているので、「何かを頑張る」と言う思考が全体的に希薄なのだというのだ。

「僕のチームマネジメントスタイルとしては、一人ひとりを焚き付けて『一緒にやろうぜ!』という感じで盛り上げていくところが得意なのですが、そのメンタリティがないところだと、ただの変なうざい奴になってしまうということが大きな学びになりました。もちろん、本質的な課題としては、太陽光に対する需要を読み違えたという点が最も大きかったとは思いますが、それとは別に、自分のチームマネジメントスタイルがワークするところを改めて知ったということが、今にも活きる大きな学びだったと言えます」

 そんなジブチでの事業展開に苦戦しているところで、隣国のエチオピアに大きな動きがある。激しかった内戦が沈静化してきたのだ。またそれに伴い、外国企業への市場開放が進展する兆しも見えてきたことから、シード資金を出資したICJ・吉沢氏との話し合いの上でジブチでの事業を縮小・クローズする方向に舵を切り、代わりにエチオピアでの新たなる事業展開を模索するという形でのピボットを、2022年初旬に決意した。

アディス氏との運命的な出会い、そしてエチオピアDodai急加速へ

マネージャー陣との週次ミーティングにて自身の報告をする佐々木氏(撮影:K-PHOTO、提供:ICJ)

 もともとエチオピアへの進出を中長期的に想定していた佐々木氏にとって、新たなる挑戦の模索は決してネガティブな話ではなかった。もちろん、ICJ・吉沢氏に説明していたジブチでの事業計画が白紙になったという負い目がなかったわけではないのだが、「ピボットの1〜2回くらい、普通のことですよ。ましてアフリカですから」という吉沢氏のビクともしない姿勢に救われ、佐々木氏は新たなる仲間集めに邁進することになる。とにかくLinkedIn経由で気になった人へと片っ端にメッセージを送り、繋がったらアポを設置して議論し、さらなる優秀な人へと繋げてもらっていったのだ。

 このように、もの凄いスピード感でチームメイキングを進めていく中で、さらに大きな転機が訪れることになる。エチオピアのスタートアップエコシステムを牽引するアディス・アレマイェフ(Addis Alemayehou)氏との出会いだ。叔父がエチオピア航空の前CEOだったり、姉がX社(前Twitter社)の役員だったりと、エチオピア随一の事業家でありエンジェル投資家として国内外で精力的に活動している人物である。

アディス・アレマイェフ氏(写真左)と佐々木氏(写真右)

 そんなアディス氏と佐々木氏が出会ったことで、エチオピアDodaiは急成長を遂げ始めることになる。

「2022年3月にアディスと出会い、事業パートナーとして携わってくれることが決まりました。当時、まだ僕はジブチにいたのですが、そのあたりから出張ベースでエチオピアの市場調査を進めていき、電動二輪事業に活路があることが見えてきました。そこから秋口にかけてエチオピアの運輸大臣に事業案をプレゼンし、電動二輪バイクを後押しすることを約束してもらった上で、僕自身も『これはマジでいける!』と確信し、ジブチからエチオピアへと拠点を移すことにしました」

 ちょうどその間に、それまで事業支援をしていた吉沢氏も、アディス氏との面会を果たす。たまたま別件でフランスに出張していた3名が奇跡的に現地で落ち合い、意気投合。三者一丸となってDodaiの電動二輪事業を強力に推進していく現在の体制ができていったのだ。このパリでの会食については、吉沢氏も自身のFacebookにて以下のように回想している。

いやあ、本当、僕は多分、このときの夕食を死ぬまで一生忘れないと思うのです。

とにかく、アディスの熱意、Dodaiへの信頼、そしてなにより、エチオピアという国の若い世代を牽引して、本格的な事業を創り、祖国を一気に最先端の国へと引き上げようという想いに圧倒されました。

それと同時に、物事への取り組み方、自分からリスクをガンガンとっていき、そこから学んで、次へ活かそうというスタンスなどが、私の大切にしているものとリンクしまくっており、本当に嬉しかったわけです。

ICJ・吉沢氏(写真左)とアディス・アレマイェフ氏(写真中央)と佐々木氏(写真右)(提供:ICJ)

 そこから新生Dodaiは、中国のOEMとエチオピア向け電動二輪バイクの開発および輸入準備に向けて動き出し、2023年にはエチオピア現地法人を設立。同年8月1日の電動二輪バイク販売開始に向けて急加速することになる。

 ジブチで大きな失敗を経験した佐々木氏は、こうしてエチオピアで再起奮闘する「熊」として、Dodaiとそのメンバー、ひいては同国のモビリティ市場を強力に牽引していくことになる。

 

》後編につづく(エチオピアの“土台”構築に向けて優秀な人材が集結。Dodaiはこれからすごい会社になるだろう)

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Dodai 日本語HP:https://dodaijapan.com/index.html

取材/文:長岡武司

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この記事を書いた人

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